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かまくらが現在のような行事になったのは明治30年以降で、内町の雪室(かまくら)を作ってどんど焼きをしていたものと外町の水神様を祭る行事が一緒になり、更に水神様を祭る行事が子供の行事となって現在の形になったものと言われています。
昭和に入りドイツの建築家ブルーノ・タウトが『日本美の再発見』の中で、かまくらの素朴で幻想的な情景を絶賛したこともあり、行事がますます盛んになるとともに観光で訪れる人が増えました。
その後、交通事情や生活様式の変化の影響を受け家々でのかまくら作りはほとんど消滅し、観光用に作られたモデルかまくらが中心となった観光行事としての色合いが強まりました。近年では伝統的なかまくらの復興を願う声が出ており、羽黒のかまくら、ウェルカムかまくら、一戸一かまくら運動などが地域団体によって展開されています。 |